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宮前バスの旅

「向01 向丘遊園駅東口-梶が谷駅」の旅

第11回

提供:川崎市
宮前区内を走るバスは約45系統。坂が多い地域でもあり、バスは日常の足として欠かすことができないものです。
そんな移動手段としてふだん利用している路線バスも、のんびり“バスの旅”を楽しめば、窓の外には今まで知らなかった風景が待っています。
毎回、ひとつの路線を始発から終点まで乗車し、気になる停留所に途中下車。そこで出会ったものを紹介します。

路線案内

【運行バス】 東急バス
【系統名】  向01
【おもな停留所】 向丘遊園駅東口"長尾橋"神木本町"向丘南原"梶が谷駅
【運行距離】 約5.6km
【経路】 小田急線向ヶ丘遊園駅を出発し、稲生橋交差点を左折。府中街道を二ヶ領用水(新川)に沿って走り、長尾橋交差点を右折。鶴喉坂を下って神木本町交差点を横切り、梶ヶ谷交差点まで直進。市民プラザ通りに進んで梶ヶ谷駅入口交差点で左折後、東急田園都市線梶が谷駅隣接のロータリへ。
【特徴】 多摩区にある向ヶ丘遊園駅と高津区にある梶が谷駅を結び、宮前区五所塚、神木本町、平、宮崎を運行する。1時間に平日は205便、土曜は204便、休日は203便あり、利用しやすい。
向丘遊園駅東口<br>
向丘遊園駅東口
飯室<br>
飯室
向丘遊園<br>
向丘遊園
五所塚<br>
五所塚
しばられ松<br>
しばられ松
梶が谷駅<br>
梶が谷駅

バス旅記

ぽっかりと空いた穴がいくつも並ぶ<br>「長者穴横穴古墳群」<br>
ぽっかりと空いた穴がいくつも並ぶ
「長者穴横穴古墳群」
向ヶ丘遊園駅南口を出て、まず目に飛び込んできたのは「生田緑地内ばら苑」の看板。春の開苑は6月上旬で修了し、次回は秋(10月中旬)に開苑予定とのこと。そして、その隣に梶が谷駅行きの向丘遊園駅東口バス停。南口の目の前にあるのにどうして東口? と首を傾げつつ乗車します(後日バス会社に問い合わせたところ、「向丘遊園駅東口」は設置当初からの名称で、なぜ東口とされたか今となってはわからないという回答でした)。
 ばら苑は2002年3月に閉園した「向ヶ丘遊園」跡地にあり、現在は生田緑地の一部として管理。市民ボランティアの協力によって、春と秋に4000株以上のバラが開花します。
 飯室バス停で下車し、ばら苑とは反対方向にある生田緑地北口へ。ここ「飯室山」の麓では、7~8世紀によく築かれていたという横穴古墳が見られます。32基の横穴からは被葬者の骨や副葬品などが発掘されたと説明板で読み、自分の背後が気になり始めます。
ばら苑アクセスロード。<br>以前はモノレールが走っていた<br>
ばら苑アクセスロード。
以前はモノレールが走っていた
そそくさとその場を離れ、飯室バス停に到着。時刻表を見ると、次のバスが来るまで少し時間があります。通りに沿って二ヶ領用水が流れていることだし、眺めながら歩こうと出発。本村橋交差点のそばで「ばら苑アクセスロード」の案内板を見つけます。
 二ヶ領用水沿いに続くばら苑アクセスロードは、「閉園した向ヶ丘遊園地と向ヶ丘遊園駅を結ぶモノレールの高架下跡地を、生田緑地内ばら苑に通じるシンボルロードとして整備したもの」。ばら苑の行き帰りにもバラを楽しめるよう数種類のバラが植えられているほか、かつてこの頭上を走っていたモノレールの橋脚のミニチュアモニュメントも置かれています。
 向丘遊園バス停の手前で向ヶ丘遊園の一部跡地を眺められ、遊園地のシンボルとして親しまれていた「花の大階段」が今もその姿を残していることに、なにやら嬉しくなりました。
右側から正面へ広がる緑地は<br>向ヶ丘遊園の跡地。広い!<br>
右側から正面へ広がる緑地は
向ヶ丘遊園の跡地。広い!
バスは左右を緑に囲まれた切り通しを行きます。切通し上バス停の次の五所塚バス停で下車。すぐそばから伸びる階段を上っていきます。「宮前バスの旅 第8回 登05 菅生車庫-登戸駅(生田緑地口)」で長尾神社を訪れたとき、隣に建つ「妙楽寺」がアジサイの名所だと知り、その季節にまた来ようと楽しみにしていたのです。
 住宅街のなかの坂道を上っていくと、左手に眺望が広がり、眼下に先ほど通った切り通しの道。1軒のお宅から出てきた女性が「切り通しになる前は向ヶ丘遊園の敷地がこちらまで続いていたんですよ。これから向ヶ丘遊園跡地はどう利用されるんでしょうね」と、にこやかに話してくれます。
 花の大階段の前のフェンスにかかっていた看板「事業計画の構想の概要」の事業の内容に、共同住宅、文化・レクリエーション施設などと書かれていたのをふと思い出しました。
妙楽寺のアジサイは<br>この日3分咲き。<br>朝のほうが花に勢いがあるそう<br>
妙楽寺のアジサイは
この日3分咲き。
朝のほうが花に勢いがあるそう
さて、長尾山薬王院妙楽寺は、鎌倉時代の初めに源頼朝が弟・全成を住職とした「威光寺」の旧跡ではないかと言い伝えられてきた寺。威光寺は一説によると、仁寿年中(8510854)に創建。鎌倉より北東の鬼門にあることから幕府の祈祷寺とされ、また、多摩丘陵の高台にあるため要塞の地としても重要な役割を担っていたと考えられています。
 近年、所蔵の「日光菩薩像(1545年作)」の胎内から、「長尾山威光寺」と記された墨書がみつかり、妙楽寺は威光寺の旧跡であることが判明。ただ、それがいつ、どのように妙楽寺へと変わったのかは詳しくわかっていません。
手水鉢から地中に埋められた<br>かめに水が落ち、<br>水音が奏でられる水琴窟<br>
手水鉢から地中に埋められた
かめに水が落ち、
水音が奏でられる水琴窟
現在の妙楽寺は先代の住職が植え始めたというアジサイが6月中旬~下旬、境内を見事に彩ります。「この数年は母の日に子どもたちがプレゼントしてくれた株を植えて、日本古来のアジサイから西洋アジサイまで種類もさまざまに増えました」とはお寺の奥さん。その数は約30種1000株。大きく育ったアジサイの足下を縫うように続く小道を歩いていくと、青、紫、赤紫、白に淡く染まった大輪の花が次々と目の前に現れ、見る人を穏やかにやさしく圧倒します。
 境内のいっかくには水琴窟が置かれ、カランコロンと耳に心地よい反響音。心が清らかに洗われていくようです。
壮絶な最期を想像できそうな姿。<br>裏側には焼き焦げて真っ黒な部分も<br>
壮絶な最期を想像できそうな姿。
裏側には焼き焦げて真っ黒な部分も
聞くと、妙楽寺の最寄りのバス停は切通し上。それではそちらへ、と思ったのに、道に迷って五所塚バス停から再乗車。次は、しばられ松バス停というユニークな名前のバス停に下車します。
 「しばられ松」って? と考える間も道に迷う間もなく、バス停前の「聖社」境内でご対面。それは神々しいばかりの老松で、荒々しい木肌のコントラストはまるで水墨画を見るかのようです。
 しばられ松は昔、相模の国の修行僧が諸国巡礼の途中に百日咳で亡くなり、その死を悼んで植えられた松。「聖松」と呼ばれる大木と成長し、枝葉は相模の方角を向いて繁っていたといいます。明治30年ころに落雷で焼け落ち、現在の姿になりました。
 名前の由来は子どもが百日咳にかかると左に編んだ縄を聖松に縛って願をかけ、治ると右に編んだ縄を縛り直して願解きをしたことから。稲毛三郎重成が鎌倉へおもむく際、馬の鞍をかけた「鞍掛けの松」とも言われるそうです。
 稲毛三郎重成といえば、生田緑地にある「枡形山」に枡形城を築城した鎌倉武将。今回のバスの旅との“ご縁”を感じながら、梶が谷駅へ向かったのでした。

2008年6月に取材しました。
文・写真・地図:森田奈央
川崎市在住のフリーライター。散歩が好きで、好奇心のおもむくままに日々歩きまわっている。著書に猫を追いかけて歩いた「ネコ路地へ行こう」(小学館文庫)。