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宮前バスの旅

「杉09 野川台公園前〜小杉駅前」の旅

第14回

提供:川崎市
宮前区内を走るバスは約45系統。坂が多い地域でもあり、バスは日常の足として欠かすことができないものです。
そんな移動手段としてふだん利用している路線バスも、のんびり“バスの旅”を楽しめば、窓の外には今まで知らなかった風景が待っています。
毎回、ひとつの路線を始発から終点まで乗車し、気になる停留所に途中下車。そこで出会ったものを紹介します。

路線案内

【運行バス】 東急バス
【系統名】  杉09
【おもな停留所】 野川台公園前−野川−千年−中原−小杉駅前
【運行距離】 約6.6km
【経路】 野川第1公園にある野川台公園前停留所を出たら、すぐに左折。再びすぐに右折し、さらに次の交差点で左折。梅の木坂を下りて右折した後、上野川交差点を右折し、尻手黒川道路に入る。野川交差点で左折し、中原街道へ。JR南武線武蔵中原駅そばの上小田中交差点まで直進し、右折。南武沿線道路を通り、小杉駅前に到着。
【特徴】 中原区にあるJR南武線、東急東横・目黒線武蔵小杉駅につながる路線。JR南武線武蔵中原駅も経由する。運行回数は平日、土曜、休日の10〜16時はほぼ1時間に5便で、朝夕はさらに便数が増える。
野川台公園前
野川台公園前
野川小学校前
野川小学校前
千年
千年
大戸神社前
大戸神社前
小杉御殿町
小杉御殿町
小杉駅前
小杉駅前

バス旅記

野川第1公園には<br>「みやまえお散歩コース」の看板もあり、<br>散歩出発点としても最適
野川第1公園には
「みやまえお散歩コース」の看板もあり、
散歩出発点としても最適
今回の出発地である野川第1公園には、杉09の小杉駅前行きのほかに「梶01 鷺沼駅〜梶が谷駅」の鷺沼駅行きと梶が谷駅行きのバス停留所が設けられています。これら3つのバス停留所それぞれには人々が列を作っており、野川地区の大切な交通拠点となっていることがわかります。
 三角形の公園の中央には藤棚があり、陽ざしが強い夏にはオアシスのような存在となって人々を迎えるのでしょう。すぐそばには大きなサルスベリの木が2本立ち、夏から秋にかけて満開を迎える花を観賞することもできそうです。
 出発したバスがまず向かったのは、「坂道は続くよ、どこまでも 第3回 梅の木坂」で訪れた梅の木坂。坂の周辺に広がる梅林では花が1月下旬ぐらいから咲き始めるんだろうなと窓の外を眺めると、あれれ? 紅色の花がちらほら? 12月とは思えない暖かい日があったので、まちがえて顔をのぞかせてしまった梅の木があるのかもしれません。
西蔵寺の向かって左から供養塔、<br>地蔵菩薩、庚申塔
西蔵寺の向かって左から供養塔、
地蔵菩薩、庚申塔
野川小学校前停留所で「西蔵寺」の看板を見つけて下車。『宮前区ガイドブック』によれば、こちらには区内最古の庚申塔があるそう。坂を上って左手に現れたお寺の入口に3基の石塔が建立されています。
 庚申塔は「見ざる、言わざる、聞かざる」の3猿が掘られたもの。背面を見ると手彫りによって石の表面が凸凹になっており、その丁寧な仕事ぶりに信仰の厚さがうかがえます。
 庚申塔の隣にはちょこんと地蔵菩薩。「日本一の早大工」と刻まれています。このお地蔵さまにはどんないわれがあるのでしょう?
千年神社の境内。<br>お正月にはお札や破魔矢などを頒布
千年神社の境内。
お正月にはお札や破魔矢などを頒布
バスは宮前区を出て、高津区へ。次に降りたのは千年停留所。千年(ちとせ)とは永遠を意味する縁起のよい地名。通りには「千年薬局」「千年接骨院」といった名前の商店や施設が並んでいます。「久末」「末長」など、似た意味の地名をもつ地区も近くにあり、なにやら興味深い地域です。
 千年交差点から市民プラザ通りを歩いて2〜3分のところに千年神社。昭和30年(1955)に御嶽神社、春日神社、神明神社を合祀し、改称した神社です。急な階段を上っていくと、広い境内に拝殿と本殿が建てられています。傍らの「千年会館」は地域の集会場として利用され、予定表には「カラオケ」「日本画教室」「空手」などの文字。「川崎千年講」と書き込まれているのにも目が留まります。
昭和62年(1987)建立の<br>千年神社の慰霊塔
昭和62年(1987)建立の
千年神社の慰霊塔
その後、境内で向かい合ったのは「慰霊塔」。千年の地に生まれ、日清戦争、日露戦争、第二次世界大戦に出兵し、残念ながら帰ってくることができなかった23名の戦没者の安らかな眠りを願うものです。
 塔の側面には23名の名前と戦没年月日、「沖縄」「ビルマ」「サイパン島」などの戦没地が刻まれています。なかには戦没した日も場所も「不明」とされている人もいて、胸がしめつけられる思いがします。
 これらの戦争で亡くなった人々の命のうえに、現在の私たちの暮らしはある──。そのことを忘れてはならないと思いながら、慰霊塔に手を合わせました。
砲弾を手にした大戸神社の狛犬
砲弾を手にした大戸神社の狛犬
再乗車したバスは、今度は中原区を走っていきます。大戸神社前停留所で下車し、目の前の「大戸神社」へ。
 永正11年(1514)、信濃国戸隠神社を勧請し、下小田中村の守護神として創建。明治39年(1906)に地区内にあった伊勢大神、岩宮八幡、稲荷社など、多数の神々を合祀した神社です。
 こちらの狛犬は、なんと砲弾を抱えていました。明治40年(1907)に日露戦争に勝ったことを記念して建てられたそうです。側面には「當村兵士有志連名」とあり、数人の名前。千年神社の慰霊塔に続いて、身近な場所に戦争の足跡が残されていることに改めて気づきます。
重厚感漂う西明寺の鐘楼堂
重厚感漂う西明寺の鐘楼堂
最後に下車したのは小杉御殿町停留所。地名にもなっている小杉御殿町とは、慶長13年(1608)、2代目将軍秀忠が鷹狩りを兼ねた民情視察の際、宿泊するために造った「小杉御殿」に由来。12000坪の敷地には表御門、御主殿、御殿番屋敷、御賄屋敷、御馬屋敷などが建てられていたといいます。
 小杉御殿町停留所から歩いて10分ほどの「西明寺」の参道には、「徳川将軍小杉御殿跡」の石碑。また、その前を通る中原街道は、道がカギ形に曲がっています。敵に対して見通しをさまたげ、攻めにくくするための防衛対策。城下町ではよく見られるものです。
 徳川家が崇敬した西明寺の境内で目に飛び込んできたのは立派な鐘楼堂。昭和38年(1963)に改築されたもので、大晦日には除夜の鐘がつかれます。
 今回めぐってきたお寺や神社では、どのように新年が迎えられるのかなあと思いました。

2008年12月に取材しました。
文・写真・地図:森田奈央
川崎市在住のフリーライター。散歩が好きで、好奇心のおもむくままに日々歩きまわっている。著書に猫を追いかけて歩いた「ネコ路地へ行こう」(小学館文庫)。