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川崎36景

第35景 濱田庄司の碑

第1回人間国宝 濱田庄司の足あと

川崎にゆかりのある芸術家の中に、第1回人間国宝となった陶芸家、濱田庄司がいます。

焼き物の美を、何よりも使い道と結びつけ、温かみのある厚手の器に太い筆などで絵を描いたり、柄杓でうわぐすりを流しかけるなどして生み出された、おおらかな作風は、暮しの中の器、益子焼の伝統となっています。
濱田庄司生誕記念碑<br>台座には、益子の赤色陶土が使われています。<br>
濱田庄司生誕記念碑
台座には、益子の赤色陶土が使われています。
1955年(昭和30年)2月15日には第1回の重要無形文化財「民芸陶器」保持者(人間国宝)に認定され、1964年(昭和39年)に紫綬褒章を、1968年(昭和43年)には文化勲章を受章しました。

1978年(昭和53年)、83歳に益子にて人生の幕を閉じました。その後は溝口の宗隆寺で永遠の眠りについています。

生涯戸籍を高津区から移さなかったという濱田庄司ゆかりの碑が、川崎市にいくつもあります。

溝口駅近く、第一ホテル前(庄司が生まれた母方の実家、旧太田医院跡地)にある生誕記念碑があります。
小学校にある小さな池のほとりにあります。
小学校にある小さな池のほとりにあります。
また、久本小学校にある濱田庄司記念碑には、

伝統とは地下水のようなものだよ。それを掘り抜いて始めて、
自分の手に新鮮な湧き水をくみ上げる事が出来る。
古い呼び水ばかり頼って仕事をしているようではだめだよ。

と書かれています。小学生にもわかりやすい、心に残る言葉ですね。
濱田橋<br>橋がかけられた昭和16年頃は、丸太1本で作られていたそうです。
濱田橋
橋がかけられた昭和16年頃は、丸太1本で作られていたそうです。
二ヶ領用水には、『濱田橋』という小さな橋があります。
高津に生まれ、溝口の宗隆寺に眠る濱田庄司を顕彰して、命名されました。
橋を渡ると濱田庄司の眠る宗隆寺へ続く道があります。
陶芸という芸術を、暮しと融合させて広げていった濱田庄司が愛した溝口。
普段歩いている場所にも、いろいろな歴史や想いがあるのですね。
こんな笑顔で作品を作っていたのではないでしょうか。<br>※イメージです。
こんな笑顔で作品を作っていたのではないでしょうか。
※イメージです。
濱田庄司生誕記念碑
神奈川県川崎市高津区溝口2-3-12
(川崎第一ホテル前)